ラベンダー、そして豊かな食と自然で有名な富良野。9月下旬、二十歳を少し過ぎた若者が、タマネギの集荷で農家を訪ねました。
「体デカくなったなあ~、腕太くなったなあ~」
収穫した畑のそばで、気さくに声をかけられた彼は、農協の職員ではありません。地元の富良野市を拠点とする「富良野通運」のトラックドライバーです。
トラックドライバーと聞くと、夜を徹して長距離を走るような過酷な勤務を強いられ、休みも不規則で...。そんなイメージを持たれるかもしれませんが、富良野通運のドライバーはそんな先入観を覆すような働き方をしています。
北海道のおいしい食べ物が全国のスーパーに並ぶのも、ネット通販で注文した商品が自宅に届くのも、正確に、丁寧に運んでくれる人がいるからこそ。今回は、まさに日本を支えるトラックドライバーのお話です。
社長はJR出身。「住むなら富良野」で転職
真っ先にお話を伺ったのは、異色の経歴に加えて、なんと商学の博士号も持つ富良野通運社長の永吉(ながよし)大介さん。
生まれは福岡県北九州市。今や国際物流拠点となった北九州港があり、コンテナ貨物のターミナル駅もある、「物流」が身近な環境で育ちました。大学卒業後にJR貨物へ入社。
「同じ鉄道のお客さんでも、乗客なら自分で歩いて動くことができますが、貨物は誰かが手をかける必要がある。モノを動かすって面白い」と語る永吉社長。若くして物流の面白さに目覚めていたようです。
JR貨物では全国の貨物列車の運行状況をチェックする指令担当として、ダイヤの乱れがあれば先々まで及ぶ影響をシミュレーションするという、ダイナミックな仕事を経験。また年に一度のダイヤ改正に向けて全国各地の担当者と調整する、まさに日本の物流を最適化するような役割も担いました。そのダイヤ改正に向けた議論はある時、温泉旅館で合宿形式で行われましたが、一週間もお風呂に入らないほど白熱したとか。
転機は2011年、北海道への赴任でした。支社管理職や札幌圏の営業支店長といった要職を歴任。担当エリアの1つに富良野があり、富良野通運の当時の社長に手腕を買われたのがきっかけです。2017年に転職し、2年後に社長に就任しました。当時から、豊かな自然と空気感、田舎すぎない便利さ、移住者や経営者の多さが好きだったという永吉社長。「北海道で住むなら富良野」と思っていたそうです。
伝統のプライドと、スタートアップの気概
1942(昭和17)年創業の富良野通運は、地元の同業者との合併を重ねながら、地域に根付いた事業で成長してきました。創業当初は、富良野市内にある東大演習林の木材を運搬していました。やがて富良野が道内有数の生産地であるタマネギの輸送を担うようになり、徐々に扱う品目を増やしていきました。永吉社長は「まじめにコツコツと地域の農産品に寄り添い、富良野という『大地』を運んできた会社です」と社の歴史を振り返ります。
モノを運ぶ運送業ですが、作り手との顔の見えるつながりが富良野通運らしさです。
「一軒一軒の農家さんと顔馴染みで、生産者と共に歩み、育てられてきました。ずっと忘れずにいたいのは、富良野の農業のラストワンマイルを守ってきたこと。ドライバーにとっても、生産者からの『ありがとう』がやりがいです」と永吉社長は教えてくれました。
事業全体の中ではJR貨物のコンテナ輸送が50%ほど、肥料や飼料、家畜の生体などを運ぶ一般的な区域輸送が40%を占め、残りは燃料配達やタマネギの皮むき工場運営といったアウトソーシング事業となっています。主力は農産品の輸送と言えますが、農業が盛んな北海道らしい悩みがあるとのこと。
それは繁忙期と閑散期の大きなギャップです。収穫期は多くの人手が必要ですが、厚い雪に閉ざされる冬は仕事のボリュームは減ってしまいます。農産品への依存度が高いほど、事業や雇用の安定にとってリスクになる――。永吉社長は就任以来、閑散期の仕事づくりに最も力を入れてきたといいます。
収穫物を運び出すだけでなく、ポテトチップス用馬鈴薯を長期間保存する倉庫事業を立ち上げ、新たな輸送を創り出してきたのはその表れですし、札幌圏での家具配送などにも参入。飼料工場へのアウトソーシング事業も拡大中です。そして2023年12月からは、地方都市ガス大手の北海道ガスから請け負ってLNG(液化天然ガス)をタンクローリーで運ぶ事業が始まります。
「社の伝統をベースにしながら、スタートアップのような気持ちで新規事業を生み出しています」と永吉社長は誇ります。
営業面への貢献を考え、デザインにも投資。ラベンダー色をまとい、未来感あふれる会社ロゴを作り、ホームページや制服を一新しました。いかにもインスタ映えしそうなトラックもあります。
また、社長自身が北海商科大学の博士課程で学び、3年かけて博士論文「北海道における農産品供給機能の維持増進に資する物流効率化のあり方」をまとめました。ドライバーの労働時間が規制強化される「2024年問題」に代表されるように、厳しさを増す道内の物流への危機感が根っこにありますが、自社や業界の認知度を高めたい思いもありました。
休日を増やしつつ、売り上げを伸ばすには?
永吉社長が新しい仕事づくりと並んで心血を注いでいるのが、働きやすい職場環境づくりです。中でも、「まちの代表選手」と位置づけ、社員の半分以上を占めるドライバーが足りないと仕事も増やせないため、負担軽減や待遇改善に取り組んでいます。
ドライバーの仕事は、淡々とハンドルを握るだけではありません。荷物を預かる時、引き渡す時に体力を使います。例えば、タマネギを詰めた段ボールは1箱で20kg。これを手作業で荷台のコンテナなどに積み下ろしすると、多くの時間がかかり疲労も積もります。そのためフォークリフトで持ち上げられるようパレットの活用を推進。労働時間を削減しつつ、女性や高齢のドライバーも活躍しやすい土壌をつくっています。
従業員が安心して働けるような環境整備にも腐心しています。永吉社長が富良野通運に入った2017年の年間休日は87日でしたが、現在は100日に。永吉社長は「週休二日制には届いていないので、まだまだです」と率直に語りますが、大きな変化です。
休みを増やしながら売り上げを伸ばすために欠かせないのは、ある仕事を誰もがこなせるようにする「標準化」。勤怠管理システムを見直し、紙ベースの管理をやめ、スマートフォンによる入力での対応など、経理業務の迅速化・標準化を進めています。
従業員が長く働こうと思った時、キャリアパスが描けるかどうかも大きなポイントです。富良野通運では、大型免許を取得後まずはJRコンテナを運搬。経験を積んでから、大型車で苫小牧や札幌などとの間を往復するようになり、やがてけん引免許を取得して大型トレーラーに乗るという流れが、1つのモデルです。「経験と知識をつけてジャンプアップし、給料も上がっていきます」と永吉社長。多くのトラック乗りが憧れるボルボの大型トラックも、70台近い在籍車両の一角に陣取っています。
ドライバーとしてのキャリアの頂点は、新規事業にあります。永吉社長が「エースになると運転できる」というLNGのタンクローリー。全長は18m近く、危険物である液化天然ガスを扱い、バルブの開閉操作が複雑といいます。
このLNG配送事業は大型案件ですが、実務は若手社員に任せています。永吉社長は、社内で積極的に挑戦する気運は高まっていると感じています。
「最近も、40代の社員から提案があって採用しました。分散している車庫を集約して管理を標準化しようというものです。こういうアイデアが出てくるのは嬉しいですね」と顔をほころばせます。
大阪出身、富良野に住みついたベテラン
時代に合わせて変わりつつある仕事と職場。現場のドライバーの皆さんは、どう感じているのでしょうか。2人のエピソードを紹介します。
まずは、大阪府出身の原田浩司さん。昔から乗り物好きで、高校を卒業して地元の酒屋さんに就職し、小型トラックでビールを配送していました。将来は自分で酒屋さんを営もうと思い描いていましたが、経験を積むにつれて「いつかはこの商売は成り立たなくなるかもな」と感じるようになりました。スーパーマーケットなど多くの量販店で酒を扱うことで、酒屋さんの専売的な立ち位置が変わってしまう、と予感したそうです。
そこで退職し、「とりあえず旅に出てみよう」と250ccの愛車のオフロードバイクにまたがった原田さん。北海道へのツーリングに出発しました。時間をかけて道内を一周し、中富良野町にあったキャンプ場で偶然の出会いが訪れます。富良野通運の上富良野所長から声がかり、アルバイトをすることになりました。収穫期、助手としてニンジンをトラックに積み込むという仕事です。冬はトマムでスノーモービルのインストラクターをしましたが、春になるとまた富良野へ。25歳だった1994年、社員に登用されました。
当時も今も、原田さんは畑に出向いて農産品を預かったり、肥料を農協の倉庫に運んだりしています。「今年のジャガイモはどうだい?」「ニンジンの成長いいね」と農家の皆さんと言葉を交わすような瞬間が好きだそうです。
大阪を離れ、北の大地で大型トラックを操る大ベテラン。重い積み荷を傷つけないよう、冬はアイスバーンの路面で十分な車間距離やソフトなブレーキングを心がけるなど苦労はありますが、大きな特権があります。
「朝が早い時は、地平線の上に広がる朝焼けに目を奪われます。北海道の景色が好きで、雄大に広がる畑や大雪山、雲海もいいですね」
富良野通運で活躍して約30年ですが、働く環境は変わってきたと感じています。「昔は収穫期の秋はずっと仕事でしたが、今では休暇を取りやすくなりました」とのこと。また、4時間運転したら30分休憩する、勤務と勤務の間は8時間を確保するといったルールは徹底されています。
「トラックの運転というと、長時間労働で寝ないで走るみたいに思われるかもしれませんけど、全然ないですね。もちろん(派手なデコレーションをした車両に乗る)『トラック野郎』でもありません」と、日焼けした顔から白い歯をのぞかせます。
「向いてない」から一転、キャリアアップへ
次にご紹介するのは、若手の藤澤信人さん。2002年生まれで、地元の富良野緑峰高校を卒業して、2020年に入社しました。体を動かすのが好きで、地元で安心して働きたいというのが職場選びの軸だったといいます。実家はコメやトウモロコシ、カボチャを育てる農家。富良野通運を通して届いた肥料を使っていて、「対応がきめ細かくて丁寧だよ」と、ご両親から評判を聞いていたそうです。
当初は「体力的にも自分には向いていないのでは」と思い、ドライバーになることをイメージしていませんでした。それでも先輩たちに囲まれて助手を務める中で、ドライバーを志すように。2023年6月に大型とけん引の免許を、同年9月にはJRコンテナのフォークリフトを扱う資格を得ました。未経験から始め、会社の手厚いサポートでスキルを養いました。
取材した時は大型ドライバーになってまだ3か月というタイミングでしたが、農協の選果場から農産品をコンテナに載せて貨物駅に運んだり、地元の工場で生産されたプラスチック容器を遠方に運んだりしています。農家の皆さんにもすっかり顔を覚えられました。日本の食を支える物流業に携わるという、欠かせない役割を実感しています。
入社4年目の藤澤さんも原田さんと同じく、会社の成長を肌で感じています。
「仕事の幅やトラックの台数は年々増え、待遇面でも良くなっています。先輩には優しく教えてもらえるので続けやすいですね。新しくなった制服もいいですよ」
前途ある若手から、安定して現場を任せられるベテランまで。全社員の半分以上を占めるドライバーの顔ぶれは多彩です。富良野通運の各拠点には、「一体感を高めたい」という永吉社長の思いから、全ドライバーの顔写真を一覧にしたパネルが掲げられています。
全国で仕事し、富良野のために何ができるか
深刻な人手不足が懸念されている「2024年問題」や燃料費高騰など、運送会社のかじ取りは容易いものではないでしょうが、永吉社長は「あちこち飛び回って、本当に楽しく仕事をさせてもらっています」と気負いを感じさせません。
全国のさまざまな企業などから相談が舞い込みます。各地にあるネットワークを生かし、鉄道や船舶やトラックなど複数の手段を組み合わせ、最適な解決策を提案します。全国の鉄道貨物駅を利用する免許を持ち、トラックが自走して乗り込める「RORO船」も守備範囲です。積み荷やルート、予算など、一つとして同じ条件はありません。持てるものをフル動員して個別のニーズに応える仕事に醍醐味を感じている永吉社長。それを実現できることが、富良野通運の強みに他なりません。
永吉社長は「チャレンジの舞台は富良野だけにとどまらず、日本全国にあります。全国を相手に仕事をし、富良野のために何ができるかを考えています」と強調します。
世界に誇れる農産物など「富良野ブランド」を届けるという思い。「大地をはこぶ。」というキャッチコピーに込めた、暮らしと産業を支える使命。富良野という地にしっかり根を張りながら、開拓するフィールドは全国に広がっています。
会社や富良野という地域に魅力を感じた人材を広く迎えられるように、富良野通運は地元の他の企業と従業員寮をシェアしています。永吉社長は「旭川空港からのアクセスも良く、ワーケーションの延長のイメージで仕事ができると思います」とアピールします。
本社屋は、富良野エリアの大動脈である国道237号と、JRのコンテナ貨物を取り扱う富良野駅が交わるような場所にあります。トラックが行き交い、目の前にコンテナがずらりと並び、ディーゼル機関車の力強いエンジン音が時折響きます。広大な大地を貫く道路と、全国に通じるレール。「富良野ブランド」がこの先どんな風景をたどり、どこへ行き着くのか。それを想像しただけで、永吉社長が「モノを動かすって面白い」と感じる理由が少しだけ分かった気がします。
- 富良野通運株式会社
- 住所
北海道富良野市朝日町13-6
- 電話
0167-22-2131
- URL