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このまちのあの企業、あの製品
湧別町

ビジョンを目指し年齢や性別に関係なく活躍できる建設会社。西村組20230710

ビジョンを目指し年齢や性別に関係なく活躍できる建設会社。西村組

誰もが知っている、誰も見たことがない建設会社。そんなビジョンを掲げる熱い会社が、オホーツク海沿岸の湧別町にあります。それが1936年創業の西村組です。

数年前までは元気な挨拶なんて一度も聞くことがない会社でしたが、今では社員同士の良いところを見つけディスカッションし合う風土に。
年齢や性別に関係なく仕事に取り組める環境と、建設会社らしからぬオウンドメディアを見て道外から入社したいとやってきたメンバーもいます。


社内改革とブランディングの仕掛け人は、取締役執行役員で4代目候補の西村幸志郎さん(以下、幸志郎さん)。幸志郎さんの熱い想いと原動力を探るべく、お話を伺ってきました。

流氷の町を長年支えてきた建設会社

西村組はオホーツク海沿岸で長年建設業を営んできました。戦後の早いうちに道内の建設業者では初めてブルドーザーを導入するなど、先進的な投資と決断をして事業を拡大し、1956年に法人化。財政危機など苦難を乗り越え、港湾事業を軸に主に公共事業を手掛けて会社を成長させてきました。

特に1994年から4年を掛けて開発した浮体式の防氷施設「アイスブーム」は、サロマ湖の養殖施設への流氷被害を根絶させることに成功。会社とってはもちろん、湧別町などサロマ湖沿岸の町にとっても歴史に残る大きな功績です。

nishimuragumi_iceboom8214.pngこれがアイスブーム。一本に繋がった「浮き」の下にはロープとネットがついており、流氷の侵入を防いでいます
nishimuragumi_iceboom8209.png流氷からホタテ・カキの養殖を守りつつ、船の出入りを妨げない工夫をしています


2015年頃からは採用でも性別にかかわらず、能力や適性で判断するよう基準を切り替え、当時の建設業界では珍しかった女性の技術者をはじめ、現在では女性社員も増えてきています。2020年にはビジョンを策定。旧態依然とした体質から脱却し、新たな風を吹き込もうとしています。

近年の採用活動をはじめ、改革の陣頭指揮を執っているのが幸志郎さんです。

威厳ある父の下、サッカー一筋の青春時代を過ごす

nishimuragumi_oyako2296.png父・幸浩社長と、息子の幸志郎さん
幸志郎さんは湧別町生まれで湧別町育ち。西村組の3代目で現在の社長、西村幸浩さんの長男として生まれました。幸志郎さんは創業家に生まれながら、父の仕事についてほとんど知らなかったと言います。

nishimuragumi_kids_2389.png幼少期の西村家三兄弟。一番左が幸志郎さん
「父は家に仕事を一切持ち込まなかったですし、家で仕事の話もしなかったので、仕事に関しては何をしているかよくわからず、作業着を着ているくらいしか知らなかったです。社長に就任してからはスーツを着ていたようですが、会社の経営についてなど全く見ていないし知りませんでした」


ですが「社長の息子」として見る周囲の目や、威厳ある父の顔色を窺う幼少期を過ごしてきたといいます。

「そのせいか、人の目が気になるんですよね。まわりが気になるというか。いまも仕事中に人の声色や顔色、テンションの良し悪しなどが気になってしまいます」

幼少期の経験から、ご自身は仕事をする環境まで気になってしまうようです。ただ、人の顔色や雰囲気を読み取れるからこそ、昨今の採用活動やチームビルディングの実績にもつながっているのかもしれません。幸志郎さんの学生生活についてお話を伺いつつ、近年の取り組みについてより探ってみました。

学生時代はサッカー一筋だったという幸志郎さん。小学校3年生の時から中学生まで、片道1時間30分もかけて網走市のサッカークラブまで通っていたそうです。

「父はサッカー観戦が好きだったので、自分がサッカーをやれば喜んでもらえるかなと思って始めたんです。当時は湧別町から網走市のサッカークラブまで通っていました。今思うと、毎回送り迎えしてくれていた両親には感謝しかありません」

湧別町にいるよりもサッカーに打ち込める網走市にいる時のほうがおもしろかったという幸志郎さん。プロになりたい、湧別を出たいと思い、中学校を卒業すると札幌の高校に進学しました。

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「高校でサッカー部に入ったものの、自信満々の鼻柱を折られ衝撃を受けました。上下関係が厳しくて、理不尽なこともいっぱいありましたね。冬に実家へ帰ってきた時は辛すぎて家で泣いていました。でも、チームとはなんなのかを学び、理不尽なことがあってもへこたれない強さが身につきました」

ラーメン屋で経営を学び、日本各地で人への感謝を知る

その後は札幌の大学に進学。上下関係に嫌気がさして部活には入らず、フットサルのチームを自ら結成。北海道代表として大会に出場する実力を備えるチームになったそうです。


ただ、大学生の頃にご自身の将来の肥やしとなったのは、フットサルよりもラーメン店でのアルバイトと日本一周の旅。ラーメン店でのアルバイトでは会社からその日の営業を任されるくらいの実力と信頼を得ていたといいます。

「社長にすごくよくしてもらっていて、道外で行われる北海道フェアなどの催事にも連れて行ってもらいました。経営のイロハを間近で見せてもらいましたね。仕事後や休みの日にすすきのにも連れていかれましたし。笑」

また大学4年生の春から秋までの5カ月間には、日本一周の旅に出ました。軽自動車で沖縄県以外のすべての都道府県を巡ったといいます。ちなみに沖縄県はその後卒業旅行で訪れているので、大学生の時に47都道府県コンプリート。日本各地を巡り、世界も広いけど日本も広い、さまざまな人に助けられ、人に感謝できるようになった旅だったと振り返ります。

nishimuragumi_travel.png

ある日、旅の途中でラーメン屋さんへ立ち寄った幸志郎さん。薦められたとんこつラーメンを注文し食べていると、オススメメニューの中華丼まで出されました。注文していないけれど、せっかくだから...と両方をたいらげて会計をしようとすると、

「お金なんていらないよ、無事に旅して成長すればいい」と受け取ってもらえなかったのだそう。

その懐の大きさに衝撃を受け、人のやさしさを感じたといいます。

日本各地を巡る中で人への感謝の気持ちを学びつつ、幸志郎さんの人柄のよさに惹かれてさまざまなスカウトもあったのだとか。飲食店や雑貨店など、日本各地のお店や会社から仕事をしないかと声をかけられること約100件。駐車場でたまたま会った人に元気に挨拶したら、「いい挨拶だな、うちで働かないか」と言われたことも。

一皮むけて北海道に帰ってきた幸志郎さん。卒業後の進路は声をかけてくれた約100社ではなく、家業の西村組を選びました。

「旅している時に、この先なにをしよう、なにで生きていこうかと考えていました。思い浮かんだことは3つ。かっこいい人間になりたい。注目されて有名になりたい。自分の名前の通り人の幸せを志す人間でありたい。
幼い頃から戦隊ヒーローのレッドやウルトラマンが自分の中の『かっこいい』でした。
『そして有名になりたい』の矢印が変わって、会社のために自分が表に出ていこうと考えています。
西村家の長男として生まれて、人の幸せを一番志せるのはこの会社をより良い会社にすることだと思っています」

こうして幸志郎さんは、昔は嫌で出て行った湧別町に戻ってきました。

この会社はビジョンがないし夢もない。だったらみんなでつくろう。

家業に就くと決めたものの、実は湧別町に帰って入社するまで会社のことをまるで知らなかったそうです。そのためか、なんと入社して3日で辞めたいと思ったといいます。


「入ってすぐ、『なんだこの会社は』って思いました。じめじめとした雰囲気で、朝に挨拶してもみんな目も合わせないんですよ。挨拶すらしない人もいる。そのまますぐ辞めてもよかったんですけど、逃げるのはダサいなと。高校の時にも困難を乗り越えてきたので、どうせここにいるなら変えていきたい、湧別町に帰ってきた意味ってそこにしかない。どうせならやれること全部やってから辞めよう」

そこで幸志郎さんがまず始めたのが、人間観察だといいます。

「みんなおもしろくなさそうに仕事をしているなと思ったんです。だからその状況を変えたくて、入社1年目ですけど
『こうしたらおもしろそうじゃないですか、こんなことチャレンジしてみませんか』と至るところで評論家みたいに言っていました。
いま思えばもっと上手なやり方があったなと。笑」


そうしているうちに、西村組の課題が見えてきました。それは、メンバーがみんな、何のために仕事をしているのかというビジョンがないということ。本来仕事にしても何にしても、ビジョンや目標があり、そこに辿り着くためにはみんなでどうすべきかと団結するのがチームなのに......

「でも西村組にはビジョンがないし夢もない。だから何のために仕事しているか分からないんじゃないか。
そんな閉塞感から来るこの重苦しい雰囲気を壊したい」

そう考えた幸志郎さん、まずは採用・広報・組織の課題を解決したいと経営陣に直談判します。入社1年目としては大胆ですが、幸志郎さんには課題がしっかりと見えていたので迷いはありません。

「当時、採用は学校からの紹介などしかなくそもそも知られていないことに課題があると感じていました。なので知ってもらうためには何が必要かを考えて、SNS、特にTwitterに力を入れました」

nisimuragumi_twitter.pngTwitterで日々熱い思いを発信。フォロワーは1万人を超えています!

ツイートを継続していたある日、ずっと追いかけていたビジョンやミッションなど会社の根幹からのブランディングをしている代表から連絡をもらいました。コンサルティング会社から西村組と仕事をしたいとツイートがあがっていたのです。急きょその日のうちに日程調整をしてオンラインミーティングを実施。

「ビジョンを掲げよう。ワクワクする会社にしよう。憧れられるような会社にしよう。誇れるような会社にしよう。みんなで」

それから初代 西村幸太郎の時代から大切にしてきた「誠実」「和」という想いを軸に、役員で数十時間のミーティング、そして全社員で会議を行い、ミッション、ビジョン、バリューを言葉にしていきました。
その想いを形にしたこのビジョンマップは、まさに西村組の在りたい姿、目指している目的地を示した地図と言えます。
このビジョンマップの完成から会社に大きな変化が起きていきます。

nishimiuragumi_visionmap.pngこれが西村組のビジョンマップ。企業としての価値観、行動基準、目指す将来像までが記された「地図」です

こうした改革を推し進める幸志郎さん。歴史ある会社の中で抵抗を感じている人はいなかったのでしょうか?

「もちろん、抵抗を感じる人もいたと思います。それでも、ビジョンやいままで大切にしていたけど受け継がれていない価値観をちゃんと言葉にすること、そして変化が必要だと思ってくれていたメンバーも多かったんです」

「幸志郎が帰ってきてこの会社変わったよね」

社内で想いを伝えてブレストをし、社員から出たさまざまな意見をまとめ、時間をかけて策定したビジョンマップ。これを社内への浸透を図っていくことになりました。ただ、つくるまでの過程よりも作ってからのほうが大変だった模様で、その苦労は現在も続いているようです。


「みんなでつくったはずがまだまだズレはあります。元々一つの指標がなくそれぞれの中の物差しで判断していたので当たり前と言えば当たり前。人数が多ければ多いほどズレは大きくなりますから。
私が役員になりたてのころ、会社として社員の声をスピーディーに活かせていないという課題がありました。
しかし役員になって初めて分かったのが、そもそも提案が会社の目指す姿とはズレていたり検討が足りない。そして中間管理職で止まっている声も多いという課題も見えてきました」

社員の声をもっと取り入れるためにどう西村組としての考えを伝えていくか、自分事として考えてくれる仲間をどう増やしていくか。
自立、自走できる本当の意味での自由とやりがいのあるチームにするためにビジョンマップについて経営陣、リーダーを中心に向き合っています。

「何かを考えるときはまずビジョンマップを眺めて考える。そんな提案なら通るようになります。ビジョンマップは評価制度とも連動しているので、体現している人は評価も上がる。つまり自分のやりたいことも実現できて給与も上がるなんて、みんなにとって最高の環境だと思うんです」

地道に日々取り組み伝えていくことで、次第に社内の雰囲気も変わってきたそうです。

「元気で気持ちのいい挨拶をできる人が増えてきたよね」
「幸志郎が帰ってきてこの会社変わったよね」

ベテラン社員からもそんな意見が出るようになりました。

いっぽう、採用活動では長年続けてきた大手就職情報会社だけに頼らず、公式Webサイトを一新し、SNSでは一方的に発信するだけでなく学生や求職者とどんどん交流を深めます。さらにYouTubeで動画配信も実施。社員が再現ドラマを演じたり、幸志郎さん自身がラップを披露する動画もアップしています。
熱気があふれる「幸志郎流」の採用活動で、これまでとは違う多くの人材と出会い続けるなかで、仙台から湧別へ来て入社したという社員もいるそうです。

建設業とは畑違いの学部を卒業した学生を「こいつ多分いいやつ」という幸志郎さんの直感で採用。直感は当たり、社内でビジョン浸透のために月1回開催している「ハートアップディスカッション」でよく名前の出る常連に。ハートアップディスカッションとは、仲間の仕事の姿を見て嬉しかったことや気持ちが高まったことをディスカッションし、チームごとにMVPの人を決めるという取り組み。入社時に建設業の知識や経験はゼロでしたが、誰にも愛されるキャラクター。会社全体が明るく、雰囲気がよりよく変わっていきました。

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年齢も性別も関係なし。年功序列ではなく人物本位

SNSでの発信など、会社のブランディングをしっかり進めていくと世の中にも次第に伝わっていきます。すると、この会社に行ってみたい、この人に会ってみたい、と応募してくる人が増えてきたそうです。その中には、北見から西村組の門を叩き入社をした大学院卒と大卒の社員もいます。かつての建設業の会社ではあまり考えられなかったことかもしれませんが、ともに女性です。


「面接で薄っぺらいことを聞くのではなく、一緒に夢を追いかける仲間だからその人の人生に向き合うんです。基本的に数回の面談でトータル6時間かけてじっくり話をしていますし、最終面談で本音で語ってくれたときに感極まって号泣したメンバーもいます」

こう語る幸志郎さん。採用はあくまで人物重視。新規採用だけでなく、既に長年勤めている社員に対しても同様で、年齢や性別に関係なくビジョンに沿った挑戦を応援する風土です。たとえば事務職として働いていた40代後半の女性は、一念発起して資格を取得。現在は現場監督として活躍しています。

「現場経験がさほどなくても、ポテンシャルと適性があると思われる人には責任あるポジションを任せ、日本特有の若いからとか経験があるからという年功序列ではなく、いい循環が起きるチームになるとまた違う変化があると思っています。若手が上司を抜いて管理職になるなど、いい意味で循環が起きるチームになることを望んでいます」

といいます。一方で、

「別におじさんがダメって言っているわけではありません。今の会社があるのは、長年、歴代の先輩方が支えてきたおかげなので。ただ、時代は変わっていくので、変わらないといけない部分はあるはずです。変えなくていいところは若手に伝えて引っ張ってもらいたいし、変えなくてはいけない部分は若い人から吸収してもらう。そしていまと未来をイメージしていかないと、時代に取り残された会社になってしまいます。
でもいま変われば、変わり続けることができれば西村組はより良い会社になっていけるはずです」

西村組に伺うと、年齢や性別に関係なく、社員のみなさんが生き生きと働く姿が印象的です。それぞれの人を重視し、ビジョンに向かい努力する姿勢を大切しているからなのでしょう。

「社長に言われてなにかするっておもしろくないと思うんですよね。こう在るべき、という決め事はビジョンマップでいい。それを全員が共有、理解、体現できれば最高です。旧来型のトップダウンや、トップにお伺いを立てるめんどくさい組織ではなく、現場から未来に向けてこういうことがしたい、という声が出てくるようになると思います。メンバーから新しいチャレンジや業務改善、もっと言えば新規事業の案が出てきて、会社全体で『いいじゃん、やろうよ!』と応援できるような環境にしていきたいです。
自分たちは使われるのではなく自分たちが会社をつくっているという感覚で、労働者と使用者という概念を崩したいんです。そういう建設会社になります」

幸志郎さんは熱く語りました。これこそが「誰もが知っている、誰も見たことがない建設会社」です。

町を守る会社から町をつくる会社へ

最後に、湧別町という町自体に思うことや取り組めることについて伺ってみました。


「西村組はこれまでの危機があっても湧別町の人たちに助けてきてもらったという歴史があります。この町を捨てて出ていくことは考えていないですし、出たら意味がないと思っています。
ただ湧別町には社員や町民が集まってコミュニケーションする場所がないんですよね。宿泊施設も民泊しかないので、旅の目的地にしてもらえず、通り過ぎられてしまうんです。ですので、これからゲストハウスと飲食店とコワーキングスペースを兼ね備えた建物を作ろうとしています。いまはまだ大きなことはできていませんが、建設会社として町を守る会社から、町をつくる建設会社になっていきたいですね」

流氷の町を長年支えてきた歴史と実績のある西村組は、幸志郎さんという熱い4代目候補を迎えて明確なビジョンを持ちました。そのビジョンを掲げ、今後も流されることなくこの先も湧別町を支えます。

「湧別町に行きたい」「西村組に入りたい」「幸志郎さんとともに働きたい」
こう思う人がこの先も増えていくに違いありません。

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株式会社西村組
株式会社西村組
住所

北海道紋別郡湧別町栄町133番地の1

電話

01586-5-2111

URL

https://www.nishimura.co.jp/


ビジョンを目指し年齢や性別に関係なく活躍できる建設会社。西村組

この記事は2023年5月18日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。