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このまちのあの企業、あの製品
安平町

メニューの数だけアツイ想いがある!レストランしばらく20230113

メニューの数だけアツイ想いがある!レストランしばらく

安平町の国道を走ると、見えてきたのは「レストランしばらく」という大きな看板の文字。お昼はこのまちで仕事をしている人たちがランチを食べに、夜は地元の人や常連さんがお酒を交えて楽しむ場となっているまちの重要スポットです。

出迎えてくださったのは「快活」という言葉がよく似合う宮本諭志さん。ここの統括総料理長を務め、とっても場を和ませてくれます。札幌出身の宮本さんは、このまちとは縁もゆかりもなく、1ヶ月だけのお手伝いとしてこの店に入りましたが、気付けばそこから10年の月日が経っていたと話します。...一体なにがあったのでしょうか!(笑)。

就職先でのひとつの出会い

もともとは台所にさえも立ったことのない少年だったという宮本さん。高校卒業後、選んだ進路は調理師専門学校でした。

「大学に行きたいというわけでもなく、どうしようかと考えた時になんとなく選んだのがこの道でした。手先も器用な方だったようで、包丁を握ればなんとな〜く教えに沿ったものが作れちゃったんですよね。それにより良い評価もついて、卒業もできました(笑)」と笑いながら振り返ります。

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もしかしたらこの業界に向いているのかも...と、そのまま学校での学びを進め、卒業が迫った頃講師として専門学校に来ていたホテルの料理長に「就職先決まっていないなら、うちに来ないか?」と声をかけてもらい、そのままホテルの料理人として就職することに。

そこのホテルで出会ったのが、3歳年上の中村陽史さん。本日のくらしごとの舞台である、レストランしばらくの社長の息子さんでした。

当時は「見て覚えろ!」と怒号が飛び交うような時代。ホテルの調理場も然り。そんな中で唯一優しく接してくれたり、遊びにも連れて行ってくれたりと、よく面倒を見てくれたのが中村さんでした。そんな中村さんが、次のステップを踏むべく東京で学んでみたいとホテルを辞めた後は、宮本さんも後を追うようにホテルを退職しました。

restaurant_shibaraku3.JPG左が中村さん。写真を撮るとなると緊張気味のお二人ですが、取材陣には仲の良さが伝わっていました。

その後はラーメン屋さんや焼鳥屋さん...「調理」の仕事ではあれど、さまざまなジャンルのお店を渡り歩いたいたある日「ちょっと手伝ってくれないか?」と声をかけてきたのは、東京で修行をして地元安平町に戻ってきていた中村さんでした。

その場所が、レストランしばらくだったのです。
中村さんは東京での修行を終え、お父様が経営するレストランしばらくに戻ってきていました。

お世話になった先輩からのお誘いに乗った宮本さんは、縁もゆかりもなかった安平町へとやって来ました。社長のお家の使われていないお部屋を借りて住み込み、レストランしばらくで調理のお手伝いをする日々。冒頭にも書きましたが、最初は「1ヶ月程度」の予定。しかし、あまりの居心地の良さに気付けば10年経っていた...なんて言うから取材陣も驚きです(笑)。

「ここは正直ばちばちの田舎です(笑)。でも、車で20〜30分で千歳や苫小牧まで行けるし、実家の札幌までも車で1時間くらい。ちょうど良い立地だとは思います。どこに行くにも何時間かかるってわけでもないし、町内にいる分にはのんびり過ごせます」

勤務先であるレストランしばらくの働きやすさや居心地の良さに加え、まちでの暮らしも宮本さんには合ったようですね。

闇の中に、光をさしたい

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そんな穏やかなこのまちに、突如天災が起こります。
2018年9月6日、胆振東部地震。

まさに震源地にあった安平町は、大変な被害となりました。深夜に起きた地震でしたが、宮本さんもすぐさまお店に駆けつけます。

しかしそこには、前日にお店を閉めた時とは全く異なる情景が...。

まだまだ余震も続く不安の中で、立ち止まっていることもできません。レストランしばらくとして、まちの商工会と連携して炊き出しに食材を提供、人員を派遣するなど、率先してまちを支えていきました。まちが一丸となり、復興に向けてすぐさま立ち上がったのです。とは言え、まだまだ余震も続く状況。宮本さんも1週間は車の中で過ごしていたと言います。

レストランの経営自体も、震災から約1ヶ月後には再開できるまでとなりましたが、人が戻ってくるようになったのはさらに1〜2ヶ月かかりました。

震災の翌年には新型コロナウィルスの蔓延。なんだか暗闇に包まれているようなそんな感覚の日々の中でも光を探し続けていたのは、レストランしばらくの中村さんでした。

「中村は、子どもたちのために自分たちができることはないか?っていうのをいつも考えています」と宮本さん。

そんな話をしていると、目に入ってきたのはレストランの一角にあった色紙。何やら子どもたちからのメッセージのようですが...

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「これは追分高校の生徒さんたちからいただきました。新型コロナウィルスが蔓延し、コロナでイベントや行事が中止になってしまいましたよね。そんな中、コロナが落ち着いた時に学校祭と体育祭がなんとか開催できそうとなり、その時に何かできないかなとお昼ご飯を全員に無償提供したんです。その御礼に色紙をいただきました」

また、今年度の卒業生には、卒業おめでとうという想いを込めて卒業生ひとりひとりにドーナツを贈ったのだとか。

こうしたことを「やろう!」と言うのは、いつだって宮本さんが慕う中村さんです。こんなご時世だからこそ、こどもたちに出来ることはなんだろう?いつもそういったことを考えては実行に移しているそうです。

このまち、安平から「しばらく流」の発信を

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実はここのレストランだけでなく、仕出しや給食調理なども請け負い、幅広い事業展開をされています。ここ、安平町から手広く広げられていますが、もっとまちをPRすることもしていきたい、と宮本さんは話します。

「たとえば、安平町の特産品を使ったりと、特色をつけたB級グルメを発信していきたいですね。安平町の特産品を有名にしたいという思いがあり、いろんな人に食べてもらいたいと思っています。これが今の小さな夢で、もう少し大きな夢でいうと、SDGsも意識して、食育などを通して社会に貢献できる会社にしていきたいですね」

そんな風にこれからの未来について話してくださいました。最初は1ヶ月だけ...のつもりが、今や統括総料理長としてまとめる役目を担う宮本さん。宮本さん自身が放つ明るさが、スタッフのみなさんも必要としていたのかもしれません。

安平町に訪れたら、一度は立ち寄ってみてほしい飲食店。きっと、メニューの多さにビックリしてしまうはず。

restaurant_shibaraku10.JPG200程あるメニューをみんなで協力しながら作るといいます。スタッフさんに聞くと「中華料理がオススメ」とのこと!

レストランしばらく (株)柴楽
住所

北海道勇払郡安平町早来大町112-2

電話

0145-22-4100

URL

https://siba-raku.com/


メニューの数だけアツイ想いがある!レストランしばらく

この記事は2022年12月7日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。