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北海道で暮らす人・暮らし方
滝川市

空知で、1%にかける27年間のチャレンジ。20170529

空知で、1%にかける27年間のチャレンジ。

北海道と言えば「ジンギスカン」。そう思われる方も多いでしょう。それもそのはず、羊肉の最大消費地が全国1位は北海道。地元の方、観光の方を問わず、たくさんの方が食している、北海道のソウルフードのひとつなのは間違いありません。でも、知っていましたか?その羊肉の99%が輸入であることを。その残りの1%にあたる、国産...しかも北海道産の羊肉にこだわり、親子2代に渡るチャレンジを続けているイタリアンレストランが北海道の中西部、空知にありました。

イタリアンレストラン「La・pecora」(ラ・ペコラ ※以下 ペコラ)は、約27年前、滝川市にオープンします。北海道滝川市、人口約41,000人が住む、空知エリアの中心的都市。札幌から電車で50分。旭川からは30分に位置し、新千歳空港までも90分ほど。どこへ行くにもアクセスのいい場所にあります。広大な菜の花畑、ゆったりとした時間の流れる田園都市の側面も持ちながら、中心街は飲食店やホテル、大型スーパーなどもある住みやすい街です。ペコラがオープンした当時からは人口が8,000人ほど減っていますが、それでも近隣の都市に比べると緩やかな下降曲線を描いていることからもわかる通り、周辺市町村からも「頼られる街」としてのポジションです。

二代目オーナーシェフの意外な過去

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ペコラの2代目オーナーシェフ、河内一輝さんにお店のこと、滝川のこと、ご自身のことについてお話をうかがいました。取材時には、まだ1歳になったばかり、ようやく歩き始めた息子さんがニコニコしながら店内を一生懸命に見ています。

「実は、僕はすっごいやんちゃな子ども時代を過ごしていて、両親には超迷惑をかけていたと思います笑」。うかがうと、生まれも育ちも滝川市出身。地元のレストランで働くお父さんと看護師として働くお母さん。共働きの家庭で育ちました。友だちと一緒にいる時間が長く、高校には行かず、中卒で働く決断をします。「周りの同世代が高校生の時に、家にもなかなか帰らないで、友人と溜まり場にいたり、バイクを乗り回したりしてたので、勘当状態だったと思いますよ笑。」現在36歳の河内さんの優しい笑顔と柔らかい丁寧な口調からは想像できない、いわゆるヤンキーの過去が飛び出しました。

「中学を卒業して、水道屋さん、ペンキ屋さん、ダムの解体作業なんかもしてました。働きながら、定時制の高校にも通い出したんですが、現場仕事が多かったので、遠方での現場だと17時半の学校の始業に間に合わない。そんな時、お世話になっていた社長が『おまえは学校があるから、遠い現場の時はいかなくていいぞ、倉庫の仕事でいいぞ』って言ってくれたんです。すごい嬉しかったのと同時に、申し訳ない気持ちがどんどん募っていって、自ら『申し訳ないので辞めます。学校を卒業したらまた雇って下さい』ってお願いしました。そんな決意を持って飛び出したのに、結局高校もダメにしちゃって...。それでまた仕事を探したんですけど、なかなか正社員の仕事が見つからない。17~18歳くらいのころでした。」

当時を思いだして、河内さんは続けます。「結局、中卒だし、資格も持ってないし、なんとなくこのまま日雇いみたいな仕事を続けていくのが自分の人生なのかなぁって悩んだ時、このままじゃダメだって思って、将来を考えたんです。いろいろ考えてみて、今の状態と環境でチャレンジできそうなのは二択。美容師か調理師。そこに絞った上で、調理系なら、まかない飯もあるだろうし、食いっぱぐれないだろう...って笑。父が調理人だったということも心の奥底にはあったのかもしれないですけど。父は多くを語らない性格でしたが、自分の将来を相談した母はすごく喜んでくれたのをよく覚えています。」

名刺にあるのは「イタリアンレストラン オーナーシェフ」そして、二代目と聞くと、「サラブレッド」のような育ちを想像していましたが、お話を聞くまではその苦労はわからないもの。

過去を振り切り、滝川から埼玉へ。

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「そして、調理学校は北海道にもたくさんあるものの、自分が選んだのは『道外』でした。でも、東京は家賃が高すぎてあきらめて、東京周辺で探して、埼玉の調理専門学校に入学しました。なぜ道外って?それは、これまでずっと楽しいことに流されてきた人生だったから、友だちもいない、知り合いもいないところでゼロスタートを切りたかったんです。実際、19歳で単身埼玉に行き、人の多い超都会にビックリ。夏も暑いし、大変なこともいっぱいありました。でもその専門学校では、自分と同じような境遇の人が多くって、学歴も年令もバラバラ、1年だけっていうのもありましたから、みんな必死に学んでいくなかで、そこで友人もたくさんできました。」

卒業後も、そのまま埼玉に留まり、大型レストランで働くことを決めます。「調理人として、初めて就職。でも、これまでの人生で、オシャレなレストランなんか入ったことがなくて、え?ピザって窯で焼くの?みたいな笑。すっごい厳しい世界でしたけど、そこにいたシェフが格好良くて憧れましたね。そしてそこでのまかないが美味しくて美味しくて笑。玉ネギとベーコン、トマトと粉チーズだけのシンプルなパスタなんですけど。もう忘れられないって感じです。忘れられないので、今、ウチのメニューにもあるんですけどね笑。アマトリチャーナってメニューです。」

お話を聞いていると、なんだか漫画を読んでいるような人生ストーリー。「やんちゃ」をしていた河内さんは、もう調理人のトリコになっていきます。

道外に出て気がついた北海道の良さ、父の偉大さ

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一方で、お父さんは北海道滝川でイタリアンレストランを経営していますが、ここまでのお話では接点はないそう。そもそも最初はお店を継ぐという意思は全くなかったそうです。それがなぜ二代目になることになったのか?河内さんはこうお話します。

「調理の道を歩み始めたばかりのころは、全くわかってなかったんです。それが、調理の道も和洋中のジャンルに分岐するとき、なんとなく父親がやっていたからってことで選んだイタリアンの道。そこからキャリアを重ねていけばいくほど、父親がやってきたことの偉大さを日に日に感じるようになってきたんです。そして北海道の食材の凄さも同時にわかってきました。もしかしたら、道外に出てなかったらそれらも気がついてなかったことかもしれません。そう考え出したらとまらなくて、よく考えたら父が滝川でイタリアンのお店を始めた時も、今でこそパスタ屋さんなんてたくさんありますけど、そんな専門店が地元にはなかったですし、『羊でやっていく』という想いもすごいことだってようやく理解できました。そもそも『羊』をやるのが主で、それだけでは当時の文化ではリスキーだったから、『イタリアン』のお店を通じて『羊』を広げていくって父親の想いを知った時は、さすがにすげーなって思いました。」

お父さんは、地元のホテルで働き、レストランの料理長にまでなった方。そして独自に羊の勉強をするため、同業の飲食店ではなく、食肉加工場に教えを請いに通っていたそうです。さらには羊肉のルーツ、モンゴルにも行っていました。今もペコラでは、北海道の羊を一頭買いし、店内で切り分けているのは、その流れから。そんなお店は北海道をくまなく探してもそう多くはないでしょう。河内さんが、26歳の時、北海道に戻ると心に決め、お父さんのお店を継ぎたいと伝えたときのリアクションはこうだったそうです。


「あ、そっか。」


26歳からの、ゼロスタート


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戻ってからも、河内さんの仕事は大変だったそうです。
「親子で同じ職場って、そもそも大変なのかもしれないですね笑」そう笑います。ただ、大変だったのは、そこだけではないようです。これまで河内さんが経験してきたのは、分業制の大型レストラン。一方でお父さんは全てに目が行き届く範囲でいろいろとやらねばならない個店。仕事の進め方がそもそも違っていたのです。

「最初、戻ってきて1年間はホールスタッフ笑。キッチンにすら入れてもらえませんでした。でも、そのホールを中心とした仕事を通じて、ペコラの良さを改めて気がつきました。お客さんです。何を求めているのか、どんな店作りをしたらいいのかを、理解できた1年でした。美味しかったよって声をかけていただくなんてこれまでキッチンに入ってたらなかったことでしたし。その後も、なかなか本格的にキッチンには立たせてもらえません笑。まずはサラダから。火を使わない料理を粛々と担当し、その後、ようやく羊の料理を少しずつやらせてもらえるように。枝肉といわれる、いわゆる一頭まるまんまやってくる羊肉をどうさばいていくのかという、最も大切なことも教えてくれました。」

地域と共に歩んだこれまでと、これから

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20代も中盤を過ぎ、そろそろ自分のやりたいことをやりたいはずの中、またゼロベースから仕事を始めることに抵抗はなかったのでしょうか?
「取りあえず父の元で始めて見て、継いでからは自分の店として、店名や方針をいつか変えるという選択肢もあったかもしれません。ただ、ゼロからお店のお客様を知り、この場所でこの店に求められることを知ったとき、このお店のままでやっていこうって誓いました。そうなったら、もう、ここの伝統や味を引き継いで行くのに学んでいくしかないんですよね。ただ、それでも、少しずつ新しいことにもチャレンジして、お客様をあきさせない努力もしていこうと。」

戻ってきた当時は、「ミックスピザ」といった喫茶店のようなメニューも改善し、「マルゲリータ」といった、ピザ本来のものに。また、「生パスタ」も取り入れるなど、大切に守り続けたいものはそのままに、二代目として頭角を徐々に現していきます。そして、さらに力を入れていったのが、地産地消のこだわり。その時期にしか獲れない旬な食材を使って、限定メニューを提供したりもしています。

「黄色いトマトを作られている農家さんとお知り合いになり、黄色が中心のマルゲリータをつくったり、紫さつまいものリゾットや合鴨を使ったラグーなど、季節の料理として提供させてもらってます。」そんな地元とのつながりもどんどん作り、二代目としてひとり立ちできるようになったと判断されたからか、初代であるお父さんはある決断をします。

「マレーシアに移住する」と。

河内さんにお子さんが生まれて2ヶ月後のことでした。「最初は、冬だけ向こうにいって、温かくなってきたら帰ってくるようなことを言ってたんですけど、全然帰ってきません笑。でも、これまでずっと大変な時代に生きて、自分の時間を惜しまず仕事に打ち込んでいましたから、やっと自分がやりたいことをやりたいようにできるようになったんだと思います。そして、高齢と呼ばれる時ではなく、まだカラダの自由がきくウチにって言ってましたから。」

ひとつだけのお願い

お店を引き継ぐ際に、何も語らないお父さんから、ひとつだけお願いされたそうです。


「できれば羊の料理だけは続けて欲しい」と。

その想いをしっかりと受け継いだ河内さん。「羊料理というと、ジンギスカンと思う方がほとんどだと思いますが、それだけじゃないっていうのをもっと知って欲しいですね。また、今でもラム肉はニオイが...と誤解されている方も多いのですが、そうじゃないことも知って欲しい。すごい昔は、冷凍技術も処理も調理に関することも進んでいなかったため、そう思われても仕方ない時代がありましたが、今は全く違うんです。苦手と思う人こそ、ウチの道産羊肉を味わってもらえたらって思っています。ミルクラムっていう種類はご存じですか?食べられる時期が3~4月くらいが道産では一般的ですが、牧草を食べていないという本当に希少なラム。自分が初めて食べた時も感動したので、それをみなさんにも伝えたいのですが...、説明は難しいんですけど、味が定着していないというか、中トロに近い味と食感というか...。そんな羊肉の世界も知ってもらえたら嬉しいですね。」

地元の生産者さんと共に

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「そうそう、どうしても取材されるとなると知ってもらいたいワインがあるんです。」と、河内さん。「浦臼町のオソキナイという場所でワインを栽培している宇都宮ビィンヤードの宇都宮さんがつくっているワインなんですが、今ではあまり使われなくなってきたセイベルという品種を丁寧に栽培されていて、2015年に収穫したものが初めて出荷になったんです。そんな貴重なワインををお店に持ってきてくれて、置いてくれないかってお願いされるお気持ちやお人柄にも惚れましたし、何よりも美味しい。香りもいいし、どんな食事にも合うんです。ぜひみなさんも応援してもらいたいですね。とはいえ、2017年に出荷されたのはまだ317本だけ。早い者勝ちです。」自分のお店のアピールではなく、応援したい生産者さんの宣伝をするあたりが、河内シェフの人柄でもあると感じます。

滝川での家族の暮らしと地域への想い

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埼玉から戻り、滝川で奥様と出会いご結婚。お子さんも産まれ、その心境も伺いました。
「首都圏と違って、待機児童の問題もなく、すぐに保育園にも入れました。まだ保育園デビューしたばっかりですけどね笑。迎えに行って、自分を発見して、寄ってくるときの顔がかわいくてかわいくて笑。でもこの子のためにも本当に頑張ろうって思うようになりました。そして滝川のことを小さなコトでもいいから、知ってもらえる活動をしていきたい、地元の食材ももっと使って、生産者さんの想いも伝えていきたい。滝川はこのあたりでは大きめな街にみられますけど、人口がどんどん減っていますから、来てもらえるきっかけに何かなったり、滝川を出てしまった人が戻りたくなるような環境にしていきたい。そう思っています。『調理人』っていうジャンルでどこまでできるのかわかんないですけどね。」

地元食材を河内シェフなりにアレンジして提供するだけでなく、地元でとれる小麦のハルユタカを使った、地元の主婦向けの生地からつくるナポリピザの調理講師をするなど、地域が元気になる活動も。さらにはお父様の代から始められた、そらちワインを飲食店に無料で持ち込めるサービス「滝川BYO」という取り組みにも参加。決して飲食店にとって利益に直結する活動ではありませんが、地域のため、生産者のためという気持ちが感じられました。

お店の仲間。そして親から子へ、子から子へ。

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お店にはさらに驚くべき仕組みもありました。1年に1回、2週間お店を閉めるそうです。「これも父の代から続いていることなんですけど、飲食店ってなかなかお休みのない業界ですが、それでは調理人として学んで行けない。だから1年に1回は長い休みを設定して、自分のやりたい勉強をしに海外に行けるようにしたいって。それも引き継いで続けています。もちろん働くスタッフにとっても、自分にとっても休養を取れるという大切な制度になってますね。お店としては当然利益があがりませんから大変なんですけどね笑。そしてここで働いてくれるみんなは、チームの一員。飲食店って、チームワークでサービスが成立しますから、仲間としての一体感も大切にして、そんな雰囲気も合わせてこのお店を感じてもらえたらって思っています。」

人としても、調理人としても、そして親世代から子世代へと事業を継承するケースとしても参考になるお話をたくさん語って下さった河内さん。最後に取材陣が聞きました。産まれてまだ1歳の息子さんには、将来、お店をついでもらいたいと思いますか?その問いに河内さんはこう答えました。

「自分のやりたい道に進んで欲しい」と。

その答えには、二代目オーナーシェフ河内さんのお父さんの想いがなんとなく重なりました。

TRATTORIA La Pecora(ラ・ペコラ)
TRATTORIA La Pecora(ラ・ペコラ)
住所

北海道滝川市本町1丁目4-11

電話

0125-24-7856

URL

http://pecora.jp.net

毎週火曜日定休


空知で、1%にかける27年間のチャレンジ。

この記事は2017年4月23日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。