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まちおこしレポート
弟子屈町
中標津町

人を招き、人が歩き、人が集う道。20161005

この記事は2016年10月5日に公開した情報です。

人を招き、人が歩き、人が集う道。

北根室ランチウェイに託した牧場主の思い。

緑の牧草地や丘陵の尾根を渡り、カラマツの林道や牧場の脇の砂利道を通り、展望台の向こうの終着点を目指す。中標津空港付近から弟子屈町美留和駅に至る、壮大なる自然遊歩道『北根室ランチウェイ(*)』は、道東に歩く旅の文化を根付かせたいと願った一人の牧場主の長年に及ぶ夢の結晶なのです。
*ランチ(Ranch)とは大牧場の意味。大規模酪農地帯を歩く遊歩道をイメージしたネーミングです。

歩くことでわかる道東の魅力、人の温かさ。

ロングトレイル(長距離遊歩道)という言葉を耳にしたことはありますか。ロングトレイルとは、登山ルートや林道、農場内の小径、公共の道などをつなぎ合わせた距離の長い自然歩道のこと。その土地の自然や文化、地域の人とのふれあいを楽しむことを目的につくられる道です。欧米ではこういった「歩く旅」が盛んで、例えばイギリスには農村部を網の目のように走る公共のフットパスが整備され、大人から子どもまで多くの市民が利用しています。
故郷の道東にこの壮大な夢の道を造りたい。立ち上がったのは中標津町で牧場を営んでいた佐伯雅視さん。

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「広い北海道をめぐる旅にクルマや電車は欠かせないけれど、多くの人がそのスピードや利便性に依存しすぎていると思ったんです」
時間優先・効率優先ではなく、自分の足でゆっくり歩いてみる。時にリュックを下ろし、美しい景色やいきものとのふれあいを楽しむ。
「時には宿に泊まり同行の友と語り合ったりね。そんなことができる道が、故郷の中標津周辺にできたら素敵だなと」
実は佐伯さんは農場内に版画やオブジェを展示する「アートする農場」の責任者としても知られている方。開かれた農場、開かれた旅の舞台を多くの人に提供することで、地域に新たな交流を生み出せないか、人が集うことで新しい可能性を生み出せないかと考えたのです。今から遡ること11年、2005年春に、北海道初のロングトレイルプロジェクトがスタートしました。

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開墾から周囲の理解まで、苦難の道づくり。

道東に「歩く旅のための道」をつくる。その取り組みには、佐伯さんの考えに共感してくれた行政マンや学芸員、ペンションオーナーなども参加。しかしそこから先は、文字通り『苦難の道』でもありました。
「まずはルートの設定。景勝地、売店や食堂、休憩場所、宿泊施設の位置を確認しながらルートを想定していくのですが、それらのポイントをつなぐのは公共の道ばかりではありません。雑木林を通ったり、牧草地を渡ったり、農場の脇道を利用したり。当然、それらの土地や道には所有者がいるので、その一人ひとりの理解を乞う必要が生じるわけです」

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まだロングトレイルという言葉すら耳にしない時代。所有者の多くが「何のために? 誰のために?」と首をかしげます。中には農地に人害がでるのではと不安がる人も。
「人の交流がもたらす話、地元への波及効果の話...とにかく、いろいろお話して、納得していただきました ...というか、最後はよくわかんないけどいいよ、みたいな感じでしたけどね(笑)」そのほか、自治体や周辺の宿泊施設、商店などにも足を運びます。実際に訪れた人への対応やもてなしの大切さを理解していただくためです。
もちろん課題はほかにも。例えば悪戦苦闘の道づくりや施設の整備。
「道のないところも多かったですからね。背丈ほどもあるような雑木林に分け入り、みんなで刈払い機を使って道を開いていきました。あれもなかなか大変だったなぁ」
さらに要所に道案内の標識を設置したり、休憩のためのベンチを設けたり、牧場を通る際は牛たちが逃げてしまわないよう、人間だけが通れる柵(マンパス)を設置したり。驚くべきは、そのすべてが佐伯さんら有志の方々の手弁当で取り組まれたということ。
「それは始める前からわかっていたから。それに、そもそもお金を生み出すために道を造ったわけじゃないしね」

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利益のためではなく地域のため。道東に集う人やそれを迎える地域の人々のため。そんな佐伯さんたちの願いの結晶でもあるロングトレイルは、「北根室ランチウェイ」の名を冠し、2006年に最初のステージ(中標津交通センター〜開陽台/14.8km)の開通を迎えるのです。

6年の歳月と多くの協力を得て完成したロングトレイル。

北海道初の本格的ロングトレイル。その開通を記念し、同年の秋には新設コースを歩くイベントが開催されます。
「集ったのは、関係者や近所の農家さんなど総勢でも100人くらい。最初はその程度のささやかな取り組みだったんです」
2年目は開陽台から佐伯農場へのルートを、3年目は佐伯農場から養老牛温泉へのルートを。このように北根室ランチウェイは、1年に1ステージというペースでその距離を伸ばしていきます。当初は佐伯さんや有志だけだった道づくりやサイン設置の作業にも、一人また一人、手を貸してくれる人が増えていきました。

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また実際に歩いた人々の口コミ、佐伯さんのアートやボランティアキャンプの人脈などをきっかけに、アウトドア雑誌やテレビなどのメディアが注目。道東の草原や丘陵に伸びるロングトレイルの存在が、次第に世間に知れ渡るようになっていきます。それまでごく一部の人の限られた楽しみだった「歩く旅」という文化が、少しずつ市民権を得るようになっていったのです。
取り組みのスタートから6年の歳月を経た2011年秋。当初の予定通りの6ステージ、中標津町交通センターからJR美留和(弟子屈町)に至る71.4kmのルート整備が完了。北海道発の本格的ロングトレイル、北根室ランチウェイは念願の全線開通を迎えます。

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道を旅する人とのふれあいが楽しい。

今回取材で農場を訪ねた際(2016年夏)、佐伯さんは農場内の施設のリフォーム作業のまっ最中。北根室ランチウェイを楽しむ方のために、新たな宿泊スペースを作ろうと一人奮戦していました。
「6月には120人が宿泊していきました。OLさん、会社員、学生さん、大学の教授やに大きな企業のトップとかね。中標津空港がすぐそばだから、東京からまっすぐ飛んでここで一泊する人も多いんです」

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ロングトレイルの利用で唯一いただく費用の宿泊代金も、わずか2千円。もちろんそれも利益を捻出するためではなく、この宿泊施設の改修の材料費のほか、ルート内の草刈りや標識整備の人件費、パンフレット等の制作費などに充てられます。お金を生み出すためじゃないんだ、先ほどの佐伯さんの言葉が心の中でリフレインします。
「夜になると自分もここに来てね、食事をしたりお酒を酌み交わしながら、宿泊客と話をするんです。それがなんだか楽しくてね」

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普段の仕事のこと、トレイルのきっかけ、今日見た美しい景色のこと、道端の草花のこと、土の匂い、丘を渡る風の心地よさ... 宿泊客たちはそれぞれうれしそうに、興奮気味に佐伯さんにいろんな話をします。そして多くは、最後にこのトレイルコースを作ってくれたこと、さらに佐伯さんに出会えたことへの感謝を伝えてくれるのです。そのあたたかな言葉こそ、今の佐伯さんパワーの源。
「だからもっと頑張っちゃうんだよね。この間も張り切りすぎて、危なく熱中症になるとこだったよ(笑)」

道東から全国へ伸びていく歩く旅の文化。

北根室ランチウェイが完成して2016年で11年目。今年も7月半ばの時点ですでに2千人を超える人がトレイルを楽しみました。北根室ランチウェイ、そして歩く旅の文化は、着実に確実に、道東から全国へと広がっています。当初は首をかしげていた地元の方々も、今ではすっかりロングトレイルの心強い支援者に。一連の取り組みは地元の人々の心の絆を深める役割も果たしたのです。
さぞかしご満悦...とおもいきや、佐伯さんは微笑みながらこう言います。
「実は、今年牧場の代表を息子に譲ったんですよ。これで自分は完全なフリー。何の気兼ねもなく、トレイルの仕事だけに打ち込めるわけです。私の本気は... これからなんですよ(笑)」

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北根室ランチウェイ

佐伯農場

北海道標津郡中標津町俣落2000-2

http://saeki-farm.sakura.ne.jp/


人を招き、人が歩き、人が集う道。

この記事は2016年8月22日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。